映画やドラマの合間の休日、時間があったので生まれてから10歳まで暮らしていた町を散歩。まずは杉並区の永福町にある大宮八幡宮へ。とても大きな地元の神社。生まれたときのお宮参りもここだし、幼稚園も神社内にある幼稚園に通っていた。今でも気が向いたときに(年に五回くらい)はこの神社にお参りに来る。神社は昔から変わらないけど、幼稚園は昔は木造の校舎だったけど、今は新しくなっている。後輩達の園児が楽しそうに声を上げていた。
幼稚園の隣には大きな区民プールがあって、小学生の頃、夏によく行った。神社の隣の和田堀公園のあたりは昔のままだ。釣り堀や池もそのまんま。住宅街も意外に昔のまんま。マンションに変わった所もあるけれど、お店や家や雰囲気は三十年前とあまり変わっていない。駄菓子屋などなくなったお店もあるけれど、小さな文房具屋さんやお肉屋さんなどはそのまんまだ。僕が生まれた小さな病院は普通の住宅になっていた。
通っていた松ノ木小学校も昔のまんま。最近では夏に松ノ木プロレスをやっていて、なかなか盛り上がっているらしい。当時、仲が良かった山崎くんや高橋くんや池田くんの家の前も通ってみたけど、みんなもう、この町には住んでいないっぽかった。ちょっと寂しい感じもするが、どこかで元気にやっている事だろう。僕が五年生の時に転校した後に、その3人が、僕がその町に帰ってきたときに町の事を思い出すように、メッセージや思い出の品をタイムカプセルに入れて埋めてくれた。当時、電話でその場所を聞いていたはずだが、今回それらしき場所に行ってもどこだか分からなかった。
そのまま歩いて10分くらいの子供の頃によく行った阿佐谷の商店街へ。ちょっとびっくり。アーケード街が駅から数キロ続いているのだが、シャッター商店街には全くなっていなくて、平日の昼なのに人が溢れていて、お店もみんな開いていて、活気があった。スーパーなどもあるけれど、この辺の人たちはみんな、小さな魚屋や肉屋で買い物をしていて、それを楽しんでいるんだなあと思った。人と人が支え合っているというか、弱さやなんかも含めてかかわり合って生きている感じがした。下町に行くともっとそういう要素が増えるのかもしれないけど、10歳から住んでいる山の手地区にはない雰囲気だなあとあらためて思った。山の手の良さもたくさんあるけど、ここと比べると個々の壁が高い感じがする。久々のその解放感に、僕もちょっと嬉しくなって、何か買うときや暇そうなおじさんに声をかけるようにした。挨拶程度だったり、ちょっと立ち話的に話を聞いたり。信号待ちで隣にいるおばあちゃんにも「今日は暑いですね」とか、何かいつも以上に壁をとりはらって、人と関わりたい気分だ。僕も含めて弱い、でもみんながんばっていて、楽しもうとしている。
アーケード街を歩いていて、お腹が減ったけれど、とりあえず地元だった町まで戻って、子供の頃にお小遣いで唐揚げを買っていた小さなお肉屋さんでメンチカツなどを買って、飲み物もコンビニじゃなく、昔からがんばっている雑貨屋さんで買って、子供の頃に遊んでいた公園で食べた。子供の頃に、毎日、日が暮れるまで遊んでいた町。今、もう一回やり直せと言われても、やはり同じ遊びをすると思う。遊ぶ場所がたくさんあって、好奇心は途絶えなくて、子供の目から見ると、世の中はどこまでもどこまでも広い感じがした。